9・11
4年前の9月11日、
あの日僕は病院のベットの上にいた。
24歳。(25歳になる数日前だった。)
入院していたのだ。
過度のストレスと疲労と栄養スタミナ不足で入院していた。
過度のストレス何かだと胃や腸に支障が来そうだが、細長い僕はどうやら肺のほうにダメージが来た。
実を言うと。。。二回目の入院だった。
前回は2月下旬。半年後に再入院したのが8月下旬。
22歳で師匠である先代のチーフが移動になり、後任で突然セクションの「長」を任されることになった。
「チーフ」としては右も左も分からずに、ただ、ただがむしゃらに働いていた。
セクションを稼動する力もなく、毎日グループ会社(新宿・八王子)へ
技術と知識はもちろん、食品学や経営の仕方を学んでいた。
20代のくせに「30代前半の為のリーダーシップ講習」等の自己啓発セミナーにも足を運んだりもした。
ある程度軌道にのって来た24歳の時、限界がきた。
今までの無茶が体に出てしまったのだ。
一度目の入院でもそれなりの処置(体にメスが。。。)が行われたが、
二回目となると状態の悪化を防ぐ為に数時間の本格的な治療『手術』をする事になった。
正直、「そりゃないよ。。」「俺はここでくじけるのか。。。」
そう思った。
回復の目途が経たない頃は「悪い事なんかしてないのになぁ。。」呟いたりして、落ち込んでいた。
そんな入院中の頃でした。
病院の朝は早くて、検温や点滴の交換、すぐに朝食。
午前の検査までの数時間はまた退屈な時間をテレビをみて過ごす。
テレビのスイッチを点けたら「映画のワンシーン」のような映像がどのチャンネルも流していた。
『米・中枢同時多発テロ』である。
まだメディアではるニューヨークの世界貿易センタービルに航空機が突っ込み炎が上がっている映像しかなく事故かと放送していた。
時間が経つに連れ報道は核心を伝えていた。
2機目の航空機が突っ込み、炎を上げるニューヨークの世界貿易センタービル。
航空機の突入で煙を上げるワシントンの米国防総省。
『同時多発テロ』だと言うが報道を聞いたのは(僕が)夜だったと記憶している。
悪夢のような現実が永遠とテレビ・ラジオから流れていた。
退院し、後になってからだが、自分の事で精一杯だった僕はこの一連の報道をみて
病気にはなってしまったが、「元気になったらまた働ける。」って改めて自分に喜んだ。
9・11から一年と三日後、僕は結婚した。
今ではもうすぐ10ヶ月になる息子もいて家族も3人になった。
あの時自分の不注意から体を壊してしまったが、己の限界を知る事が出来た。
病室でいじけている時に流れた、センセーショナルなニュースは
何年経っても忘れる事は出来ないだろう。
この時期がくると「体に注意」する自分がいます。
現在、米メディアの主要な関心は9・11テロの四周年よりハリケーン被害に向けられている。
だが、ある遺族は「事件を決して風化させないことがわれわれのテロとの戦いだ」と話していた。